2014年12月19日金曜日

裸婦を描く

今回は、裸婦デッサン研究会で描かれた油絵による作品を紹介します。


P10号
部分






















F6号
部分



F6号
部分






















M6号
部分



P8号
部分



M10号 
部分


毎週土曜日の夕方に、絵描き仲間が集まって自主的に始めた裸婦デッサン研究会も3年が経ちました。定員を8人に増やして、アトリエ・ラポルトの受講生も参加できるようになりました。デッサンの共通の基礎(文法)を学んだ人達が、モデルさんを見ながら同じ環境で描いたのに、出来上がった作品は実に様々です。本来の個性的表現とは、このようなことを言うのではないでしょうか?


2014年12月7日日曜日

寒色と暖色によるグリザイユ

今回は、N.aさんのグリザイユの制作を紹介しながら単色画における寒色と暖色について考えてみたいと思います。


一般的に寒色と暖色と言うと、色相上の青系統に対する赤系統を思い浮かべると思います。しかしここで言う寒色と暖色とは、同一色相上の「冷ため」「暖かめ」といったニュアンスの違いを指します。

この違いを、モチーフの置かれている状況に合わせて表現すると、単純なモノクロームのグリザイユより、より自然な光と空間を感じさせることが出来ます。

アンリ・バルツは「デッサンの文法」という著書の中で、これを「ニュアンスのシンホニー」と名づけています。
 『Grammaire de dessin』 Henry BALTH 1928


例えば、上のグリザイユは寒暖を意識して描いたもので、背景は冷ために、テーブルは手前に来るほど暖かめに、球体の明部は暖かめに、影を冷ためにして反射光は少し暖かめにしています。単純なモノクロームのグリザイユ比べて、より豊かな表現になっていると思います。この寒暖の関係が逆転すると、どんなに明暗が正確でも不自然な印象を与えてしまいます。初心者の絵が、よく「粉っぽい絵」とか「顔色の悪い人物画」になる原因の多くがここにあります。




それではN.aさんの制作を見ていきます。

まずは構図を決めてデッサンをきちっと取ります。

今回N.aさんが使用する絵具は、寒暖がはっきり分かるようにランプブラックとローアンバーを選びました。

ローアンバーを暖かいグレー、ランプブラックを冷たいグレーの両極と考え、双方を混色してグレーの色合いのコントロールをします。



描き始めは、背景をランプブラックで、手前のモチーフと机をローアンバーで塗り分けてみましたが、これでは茶色いテーブルにグレーの布の背景といった対象の固有色が表れてしまって、グリザイユになりません。










そこで徐々にモチーフやテーブルにランプブラックを加えたグレーを置いていき、全体の色調の調和を図ります。














静物グリザイユ M10号


N.aさんにとっては初めての試みだった上に、ランプブラックとローアンバーの色調の差があり過ぎて、寒暖のコントロールに大変苦労されました。

結果的には、冷ためのグレーの中に明部を暖かく扱い、光の輝いた感じがよく表れていると思います。(画像ではちょっと分かりにくいのが残念です)

このような寒暖のニュアンスの幅の扱いには個人差があり、それが作品の表現に大きな影響を与える面があります。例えば、ドラクロアは、人物や衣類などの固有色のハイライトから影の最暗部にいたるまでのモデリングの中に、驚くほど大胆な寒暖の変化をつけています。反対にアングルは、意識して見ないと気付かないほど繊細に変化をつけています。

寒暖を加えたグリザイユは、このような感覚を磨くのにとても良い方法です。






2014年11月27日木曜日

子規庵と書道博物館

今回は、東京の根岸にある子規庵と書道博物館を紹介します。

JR鶯谷駅北口から歩いて5分ほどの所に、狭い通りを隔てて子規庵と書道博物館が向かい合うように建っています。

子規庵は、近代俳句の革新者正岡子規(1867~1902)の旧宅で、晩年の8年間を闘病しながら過ごした所です。

子規は27歳の時にこの地へ転居し、29歳で脊椎カリエスと診断され、ほとんど寝たきりの生活を送りながら近代俳句や短歌の革新に努めます。

子規庵には、高浜虚子・伊藤左千夫・夏目漱石・森鴎外・与謝野鉄幹や「坂の上の雲」の主人公とも言える秋山真之、画家では浅井忠・中村不折などが集まり、句会や歌会、文学美術談義を行っていたそうです。

寝たきりの子規に、仲間たちが当時としては高価でめずらしいガラス戸を贈りました。居間からガラス戸を透して見える庭は、決して広いとは言えませんが、薬として植えた糸瓜(へちま)のシルエットの向うに、さまざまな形と色の草花が光を浴びて輝き、本当に美しい景色を創っています。


「首あげて折々見るや庭の萩」

「ガラス戸のくもり拭きへばあきらかに 寝ながら見ゆる山吹の花」

「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」         

                子規

不折作 子規居士之写生
明治42年









子規庵の斜め向かいに位置するのが書道博物館で、中村不折(1866~1943)が半生かけて蒐集した中国や日本の書道史における貴重な資料を展示しています。
元は不折の住居とアトリエのあった場所で、68歳(1933年)の時に建設した博物館の建物がそのまま残っています。

画家としての不折を知っている人も、書家としての不折を知る人は少ないかもしれません。でも不折の後半生は、ほとんど絵を売ることをせず、書家として生計を立てていました。当時の東京の看板の字は、ほとんど不折が書いたと言われるほど一世を風靡します。例えば、新宿中村屋や清酒の日本盛・真澄や神州一味噌のロゴは、今も使われている不折の作品です。






明治期の画家は、士族などの裕福な家庭の出や有力なパトロンを持つ者が多かった中、不折は貧しい子供時代を送り、難聴というハンディーを背負いながらも、自らの力で名声と富を得た画家です。その最初のきっかけを作ってくれた人が正岡子規でした。27歳で『小日本』新聞の編集長になった子規は、その頃ではめずらしい挿絵入りの新聞を企画します。そこで挿絵を描く画家を友人の浅井忠に頼み、紹介されたのが不折だったのです。不折はこの仕事に精力的に取り組み、ようやく生活が安定し世間に名が知られるようになります。


『日本』 新聞 明治36年4月19日 木版
巴里の下宿屋
『小日本』 新聞 明治27年3月7日 木版
水戸弘道館














昭和8年建築の書道博物館
中村不折が、子規たちに誘われて根岸に住み始めたのは明治32年(34歳)からで、最初の住まいは現在の書道博物館から歩いて数分の所(旧中根岸町)でした。そこに念願のアトリエ付き自宅を建てた時の祝いの席に、病を押して来た子規は、それまでの不折の境遇を思い涙したと書き残しています。

「住居 家 画室共立派に出来上がり光彩を放ち居候・・・況して五六年の交際に其の境遇を熟知し居る私は、この成功を見て覚えず涙を催し候。」
  ほととぎす 明治33年1月10日


*中村不折フランス留学時代の作品(1901~1905) 書道博物館蔵

不折はアカデミズムの巨匠ジャン=ポール・ローランスに学んだ数少ない日本人のひとりです









子規庵と書道博物館は、震災や戦争に加え、経済優先でめまぐるしく変化する東京で、明治の偉人の生活や生き方を偲ばせるとても貴重な所です。秋晴れの日の散策にお勧めです。

・子規庵:東京都台東区根岸2-5-11 (休刊日 月曜日)

・台東区立書道博物館:東京都台東区根岸2-10-4 
                        (休刊日 月曜日)
   企画展:中村不折 「僕の歩いた道」 開催中
        前期 2014年10月11日~12月21日
        後期 2015年1月4日~3月15日




2014年11月14日金曜日

本の紹介 15 Charles Bargue “Cours de dessin”

左:英語版 右:フランス語版
本の紹介では、2回にわたって明治期の日本における手本帳を紹介しましたが、今回は19世紀の後半にフランスで使われていた絵手本、シャルル・バルグのデッサン集(Charles Bargue “Cours de dessin”)を紹介します。
この本は、長らく忘れられていましたが、2008年にアメリカのARCが復刻したものです。







当時のフランスでは、絵を学ぶ最初の過程として、このような絵手本の模写をしていました。

バルグ以外にも数多くの絵手本が存在していて、それらは銅版画や石版画で作られていました。右の写真は、アトリエラポルトで所蔵している当時の絵手本の一部です。


シャルル・バルグ作 「アーティストとそのモデル」 1878年

著者のシャルル・バルグ(1826/27~1883)は、今では画家として知る人は少ないと思います。しかし、この手本集は当時かなり普及していたようで、例えばスーラやピカソの残したデッサンの中にも、この手本集からの模写が認められます。また、日本にも明治時代初期にフォンタネージが持ってきて、工部美術学校の学生に模写させていたことが分かっています。











内容は3部からなっています。

第1部:石膏像によるモデリング
    
第2部:巨匠によるモデリング
   
第3部:自然にならったアカデミーのエチュードの準備のための木炭による練習

*ここで言う「モデリング」とは、絵画用語で対象を3次元的に表す際の形態の立体表現、また陰影による面の奥行き表現の意味で、原本のフランス語表記では「Modeles」となっています。

第1部からの抜粋(全70枚)

どの手本も、線で形を正確に捉えてからモデリングをしています。
とくに注目したいのは、光と影の境目を線で確定しているところです。現実の石膏像を見ると境界線を定めにくい所が多いのですが、あえて選択して決定することで、形が曖昧になるのを防いでいます。現実の現象的な描写ではないアカデミックなデッサンの描き方が分かります。

工部美術学校の学生による模写





















ピカソによる模写

















スーラによる模写


















ピカソによる模写






















第2部からの抜粋(全67枚)

ルネッサンスを中心とする巨匠の作品をモノトーンの石版画にしたもので、第1部より一層デリケートな明暗表現になっています。


ラファエロ
ミケランジェロ






















アングル
ホルバイン



第3部から抜粋(全60枚)

「Exercices au fusain pour préparer à l'étude de l'académie d'après nature」という長いタイトルがついていますが、要するにモデルを前にして描く人体デッサン(アカデミー)の課程の下描きとしての木炭デッサンの練習、つまり人体クロッキーと考えていいと思います。




















荻原守衛 模写
(飯田達夫 分析)
















左は右の手本を荻原守衛(荻原碌山:彫刻家1879~1910)が模写したものを、飯田達夫氏が分析したものです。シンプルな線で描いていますが、プロポーションやコンストラクションが的確であることが分かります。




・参照:碌山美術館報 第17号







このようなバルグの手本集の模写は、個性や発想を重視する現代の美術教育では否定される方も多いと思います。しかし長い美術の歴史の中では、西洋でも日本でも優れた作品の模写は美術を学ぶ最も重要な手段でありました。アトリエ ラポルトでは、このようなテキストから過去を学ぶことで、将来の制作への手がかりを見つけられるのではないかと考えています。