2021年7月31日土曜日

石膏デッサン:全身像を描く

 今回は、全身像の石膏デッサンの制作例を紹介します。
作者は、九州から単身東京に来られ、働きながら絵の勉強をされているHさんです。

チャレンジした石膏像はサタイヤ全身像で、この像は昔のフランスの美術学校でよく描かれたものです。

日本では全身の石膏像を描く機会はまれですが、パリの美術学校に残されている昔の石膏デッサンを調べると、圧倒的に全身像が多いのに驚かされます。それは人体デッサンへとつなげる教育課程の一部だったと考えられます。

その意味からは、等身大の石膏像が欲しいところですが、入手と保管が困難なため、60㎝大に縮小されたもので描いて頂きました。

パリの美術学校内にあったパレ・デ・ゼチュード(19世紀)






まずは画面中央に垂線を引き、石膏像の中軸と合わせながら直線で形を捉えていきます。



非常に動きのあるポーズの像なので、垂直水平を基準にして斜線の方向や傾きを何度も測りなおし、できる限り正確なプロポーションが捉えられるまでは、陰影は付けないようにアドバイスしました。それは陰影を追い始めると形が曖昧になりやすいからです。全体の制作時間の7割程度はこの過程に費やしました。



線で大きな形を定めてから、光の方向を考えながら個々の形をモデリングします。美術解剖学の本を参考にしながら、現象的な明暗に惑わされないようにして「存在する形」を表していきます。






サタイヤ像(650×500) 画用紙に鉛筆



約30時間かけて仕上げました。
石膏像の明るさを保ちながら、細部までよく描き込んだデッサンです。
単なる目の前にある石膏像の再現だけではなく、ヴァリューの平面上への置き換え方やボリュームの出し方、そして美術解剖学の勉強にもなった石膏デッサンだったと思います。
人体デッサンへの応用を期待します。







2021年7月18日日曜日

コレクション:鹿子木孟郎 風景デッサン

 今回のアトリエラポルトコレクションは、鹿子木孟郎(1874~1941)の風景デッサンです。


鹿子木は、フォンタネージの教えを受けた小山正太郎から西洋絵画の基礎を学び、フランスに留学した後はアカデミーの重鎮ジャン=ポール・ローランス(1838~1921)に師事した画家です。日本人の中で最もきちっとアカデミック絵画を学んだ画家と言えるでしょう。

紙に鉛筆(200×173)

このデッサンは、おそらく1917年の夏にブルターニュ地方を旅行した時に描かれたもので、場所はグーグルアースを使って特定することができました。

サン・マロの城壁

鉛筆で短時間で描かれたスケッチですが、その的確な形と光と影の表現力に驚かされます。

よく見ると、デッサンの上に数字が描かれているのに気づきます。




これは明度の段階を表していると考えられます。
20段階で数字が上がるほど暗くなっています。
例えば、空は2で最も明るく、海が4、城砦が10、船の影が20で一番暗く表記されています。
この事から、鹿子木がいかにヴァラー(Valeurs:明度)を重視していたかが窺えます。

このように明度の段階を数字に置き換えて認識する方法は、西洋ではよくおこなわれていました。

アトリエラポルトの授業で参考にしている文献の中にも、次のようなイラストが載っています。


これは、アンリ・バルツの「デッサンの文法」(Henry BALTH:Grammaire du dessin.
1928)からで、説明文に「下書きの上に明度段階の値を数字にして記入するのは良い方法である。」と薦めています。

短時間で描かれたスケッチですが、鹿子木がローランスや当時のフランスの絵画教育を通じて、対象を明度で捉える方法を学んでいたことが分かる大変興味深い資料です。