明治29年に出版された図画教科書の一部で、浅井忠による「高等小学校図画科生徒用教科書」です。(港堂書籍株式会社発行)
一編に15枚の木版による手本画(21cm×14.5㎝)が載っています。全部で八編から成っていましたが、その内の第三編と第五編をアトリエラポルトでは所蔵しています。
明治期から始まる学校教育は、早い時期から普通教育の中に図画の科目がありました。その授業の中心は絵手本の模写でした。手本とした絵は、始めは西洋の本からの引用が多かったようですが、次第に日本人の画家によるものが表われてきます。それらの制作に関わった画家は、工部美術学校でフォンタネージの教えを受けた人達が多かったようです。ここで紹介する浅井忠をはじめ小山正太郎、高橋源吉、印藤真楯、中丸精十郎などが上げられます。
一編から始めて編を重ねるごとに難度が高くなるように編集されています。
右は、三編の最初の図で陰影を付けずに線だけで対象を表しています。浅井の描いた原画を木版にして摺ったものです。
第三編の二図
第三編の十二図
第三編の十四図
第五編の一図
第五編になると陰影が付いてきます。
第五編の二図
第五篇九図
第五編の十二図
第五篇の陰影を付けたデッサンで注目して頂きたい点が、対象の影は描いているのですが固有色の明度は表していないところです。
例えば、右図の門の屋根は茅葺ですが、その明度は描いていません。上の九図の木のデッサンも幹の明度はつけていませんし、次の一五図の水車も同様です。つまりどの対象も白い物体(石膏像のような)として捉えています。
第五編の十五図
フォンタネージ作 「二人の工部美術学校生徒」 |
この手本集に見るような臨画の過程は、デッサンの基本を「存在する形を線で表す」という西洋のアカデミックな考え方から来ています。それを浅井忠はフォンタネージから学んだのだと思います。
西洋の古典絵画に関心をお持ちの方は、是非とも明治時代初期のフォンタネージに学んだ画家達の作品も見て戴きたものです。そこには、アカデミックな西洋画を必死に学ぼうとした先人の姿と、それを理解するためのヒントが詰まっています。
余談ですが、以前このブログで紹介した、アトリエラポルトで受講生の方に描いてもらっている白いモチーフのデッサンは、この手本集を参考にしています。
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