2014年9月27日土曜日

本の紹介 14 : 小山正太郎 「中等臨画」

前回、浅井忠の「小学画手本」を紹介しましたが、今回もその流れでアトリエラポルトの蔵書の中から同じような手本帳を紹介します。



それは、小山正太郎が描いた「中等臨画」です。明治33年(1900年)に東京成美堂から出版されたもので、全6編からなり1編に10枚の木版によるデッサンが載っています。

各編から2枚ずつ選んでここに紹介します。









第一編 第一図

前回の浅井忠の手本帳と同じく、線で形を描くことから始め、影をつけることによってボリュームと奥行きを出しています。

モチーフの固有の明度や現象的陰影は表さず、あくまでも遠近法に従った正確な形を描こうとしています。フォンタネージに学んだ西洋のクラシックなデッサンの方法が忠実に守られています。


第一編 第五図

第二編 第二図

小山正太郎(1857~1916)は、15歳で川上冬崖の聴香読画館に入門、16歳には陸軍士官学校図画教授係となり、同校でフランス人建築士アベル・ゲリノーに洋画を学びます。










第二編 第五図


第三編 第六図


















第三編 第八図
1879(明治9年)開校した工部美術学校に入学し、翌年にはフォンタネージの助手となるほどの技量の持ち主でした。











第四編 第二図

同門の浅井忠は、その後明治期を代表する画家として名を残しますが、小山は東京師範学校図画教員をはじめ、図画教育分野で活躍します。

第四編 第七図
第五編 第四図

1887年(明治20年)洋画塾「不同舎」を設立して、後進の画家の育成に努めます。その中からは、中村不折、鹿子木孟郎、満谷国四郎、石川寅治、青木繁、坂本繁二郎、荻原守衛など大正・昭和を代表する画家が育ちます。

これらの門下生に共通するのは、デッサンが非常に巧みなことと、若い頃に明暗法を使った写実的な絵を描いていることです。小山が優れた指導者であった証だと思います。
第五編 第八図
第六編 第四図

小山正太郎は、不同舎の指導の中で
「タンダ(たった)1本の線で描け」
と言っていたと伝えられています。そこには、西洋のデッサンの本来の意味である「線で形を表すこと」がフォンタネージを通じて、ちゃんと受け継がれていたのが分かります。

この手本帳を見ていると、そんな不同舎での小山の姿を垣間見るような気がします。












第六編 第十図



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