2025年10月15日水曜日

ジュリアンの絵手本

 久しぶりのブログになります。このところInstagram (laporte.2011)を中心にアトリエラポルトの制作風景を紹介していたので、ブログの作成が先延ばしになってしまいました。今回は19世紀フランスの代表的な絵手本を紹介します。

 その制作者は、ベルナルド・ロマン・ジュリアン(Bernard-Romain Julien 1802-1871)という版画家・リトグラファで、パリの美術学校で学びグロ(Antoine-Jean Gros)の弟子とされています。

 アカデミックな絵手本というと今の日本ではシャルル・バルグ(Charles Bargue 1826-1883)が知られていますが、ジュリアンの方が18世紀までのデッサンの様式に近く、数も多くより普及していたと考えられます。

ジュリアンのホーマー像
(シャルル・バルグのドローイングコースの解説より)


バルグのホーマー像
(シャルル・バルグのドローイングコースの解説より)


 その全容は現在縮小印刷版として入手することができますが、残念ながら印刷が悪くて原画の美しさが損なわれています。



 アトリエラポルトでは受講生の参考に、ジュリアンのリトグラフによる原画を数点収蔵しています。








 中でも最近入手したポートレートの手本は、淡いグレーに着色された紙にリトグラフの白と黒によって刷らていて、その繊細な表現に息を呑むほどです。






 現代の美術教育では、手本からの模写には否定的な方が多いかと思いますが、先人の残した優れた技術を学びたい方には最良の方法だとアトリエラポルトでは考えています。



2025年8月8日金曜日

1903年のローマ賞出品作品

 今回は1903年におこなわれたローマ賞の最終審査に出品された絵を紹介します。

この作品は受講生の方が海外のギャラリーから購入したもので、現在アトリエラポルトで修復作業をおこなっています。


作者は、Charles-René DARRIEUX  (1879-1958)というフランス・ボルドー生まれの画家で、1903年のローマ賞に応募して最終審査の10人に選ばれて制作したのがこの作品です。残念ながらローマ賞は取れませんでしたが、当時のパリの美術学校の教育を知る上で大変貴重な絵画です。


テーマは「放蕩息子の帰還」で、縦145 cm 横114、5cmのキャンバスに描かれています。


ローマ賞は、1663年にフランスで創設された言わば画家の登竜門で、受賞者は3〜5年間ローマ留学ができる制度になっていました。創設時から20世紀初頭までのフランスの美術学校は、ローマ賞を目指して教育をおこなっていたと言ってよく、その到達点を調べることは、アカデミックな絵画がどのように作られていたかを学ぶ上での最良の手段と言えるでしょう。


初見では、すでに印象派を通り過ぎた時代の作品なので、色使いにその影響が見受けられました。

また、19世紀後半に流行ったインパスト技法が使われています。


これから時間をかけて修復(おもに画面のクリーニング)をおこないながら、技法、デッサン、彩色法、構図法などを調べていきたいと思います。いずれは、1階のギャラリー・エスパス・ラポルトで公開したいと考えています。


2025年6月25日水曜日

多色によるグリザイユ

 今回は油絵を学ぶ方法の一つとしてのグリザイユを紹介します。
参考にした本は、1900年代の初頭にフランスで出版されたエレンスト・アロー(Hrnest HAREUX)の油絵の完全講座(Coure complet de Penture a l'huile)で、19世紀末における伝統的な油絵の描き方を体系的に解説した内容で知られています。



この中でのグリザイユは、モノクロームのモチーフ(石膏像)を多色で描く練習方法として説明されていす。



これに従って受講生のKさんに「アバタのビーナス」を描いていただきました。

まずはデッサンを定着して、バーントアンバーで全体に下色をつけます。


乾かないうちに明るい部分を拭き取ります。(ワイプアウト)
 

次に暗部を筆を使って描いていきます。



全体の明暗が定まったら、いよいよ自由に絵具を混色して描いていきます。


使用絵具:イエローオーカー、カドミウムイエロー、レッドオーカー、カドミウムレッド、コバルトブルー、ウルトラマリン、ヴィリジャン、バーントアンバー、ローアンバー、シルバーホワイト


石膏の白さを出すコツは、徐々に明るくするのではなく、明るめにシルバーホワイトを置いてから暗くしていくことです。



完成。


背景をアローの本に書いてあった通り麻布を使いましたが、石膏に対して暖色に見えて奥行きを出すのに苦労されました。これは再考した方がよさそうです。

アローの方法によるグリザイユの優れた点は、
・見た印象に無理なく制作できる
・明暗の変化に色合いの変化も加える事ができ、前後関係や奥行き、光の輝きや空気感が表しやすくなる。
・混色の勉強になる

今回のKさんの作品は、多色の混色によって現実の再現性は高くなりましたが、明暗の変化にもっと積極的に色相の変化が加わるとアローの意図により近づくと思います。
現在日本ではグリザイユと言うと、古典技法の中の1つと考えられがちですが、このようにデッサンと油絵を繋ぐ練習方法としても活用して良いのではないでしょうか。



2025年5月6日火曜日

1873年に描かれた絵の修復 その2

前回に引き続き1879年に描かれた絵の修復報告です。今回はリタッチとニス塗りを紹介します。

絵具の剥落部分は150年程前に描かれた絵としては少なく、最も大きなところで1.5cmで、あとは米粒大が2〜3箇所でした。




はじめに欠損部分の穴埋めをします。(Masticage)

白亜を膠水で練った充填材を欠損部分に入れ、絵具層と同じ高さにして、はみ出た所を水を含ませた綿棒で拭き取ります。





充填材が乾いて固まってから、周囲の色と合わせます。(Retouche)
使う絵具は、下色に水彩絵具、油絵のツヤと透明感を出すのにマイメリ社製の修復用絵具レスタウロ( RESTAURO)を使います。

左側がレスタウロ、右側が水彩絵具



オリジナルの絵具層にはみ出さないように、慎重に周囲の色と合わせていきます。


リタッチ終了。



最後に仕上げのニス引きです。
今回はターレンス社製の合成樹脂のニスを使用しました。


刷毛にニスをたっぷりと染み込ませた後、よく搾ってから塗るのがコツです。


ニスのムラができないように素早く塗ります。



修復終了です。週1回の受講時間の合間で作業をおこなって約半年かかりました。
修復を経験すると、今までに見えなかったり気づかなかった絵の奥深い内容を知ることができます。絵を甦らせた喜びと共に、遥か昔の作者から時空を超えて教わっているような感覚になるものです。Kさんのこれからの制作に生きていくことと思います。






2025年5月5日月曜日

1873年に描かれた絵の修復 その1

 今回はアトリエラポルトの受講生Kさんが、海外のオークションで購入した絵の修復過程を紹介します。作業はKさん自身が行い、それを筆者がサポートする形で進めました。

絵の作者はサインからフェルディナンド・ファーゲルリーン(Ferdinand Fagerlin.1825-1907)というスウェーデン生まれで主にドイツで活躍した画家と判明しました。若い頃パリでトマ・クチュールのもとで学んでいます。 

届いた時の状態は、画面がニスの劣化により暗く、部分的に絵具層が浮き上がり、剥落とひび割れがありました。



幸いキャンバスは裏打ちされずに、オリジナルのものが140年以上経ったとは思えないほど良い状態で残ってました。


修復は、これ以上の劣化を防ぎ、鑑賞に耐えうる状態に戻すための最小限度の作業に止める方針でおこないました。


まずは浮いた絵具層の再定着です。
接着剤としてはゼラチンを使いました。


湯煎して水に溶かした液を、暖かなうちにひび割れの間から筆で染み込ませます。


直後に和紙を被せ、わずかに加熱したコテで押さえます。



定着具合に応じてメノウ棒で圧着します。
しばらくおいて乾いてから和紙を水で濡らして剥がして完了となりますが、実際の作業はとてもデリケートで難しく、修復家の技術と経験が試されるところです。


絵具層の再定着ができたら、次は画面のクリーニングです。
古いニスがすでに固着力を失っていたので、5%のアンモニア水で洗浄することができました。


1箇所をしつこく長い時間をかけて洗浄せずに、水分を飛ばしながら全体を平均的に洗浄していきます。


一回り洗浄できたら一旦絵をよく乾燥させます。古いニスの汚れが取れるまでこの作業を繰り返します。


画面の状態と綿棒に付く汚れを見ながらクリーニングを止める時を考えますが、その判断が難しいところです。取り過ぎるとオリジナルの絵具層にダメージを与えかねないので、多少汚れが残った状態で止めることにしました。

つづく。